映画「スカーレットラブソング」の撮影が始まった。ストーリーはヒロインであるスカーレットが、幼馴染のナターシャと、演劇の練習をしているところから始まる。スカーレットは、次の舞台で演じる男性の役作りに没頭していた。そんな彼女と、特別な絆で結ばれたナターシャは、いつも演劇の練習につきあっていた。今回は、スカーレットの演じる男性の、恋人役としてである。だけどこのナターシャは、役を通り越して、スカーレットに対して、友情を超えた特別な思いを持っていた。スカーレットは生まれた時から、身体は女性だが、男性の心を持っていた。その個性と天性の演技力を生かし、彼女は女でも男でも何でも演じられた。そんな唯一無二の魅力を持つスカーレットに、年月を重ねるごとに、ナターシャはどんどん惹かれていった。ナターシャは演技においてからきしだが、役に本気でなりきるスカーレットに、いつも引き込まれているのである。
それは、ナターシャを演じる新人女優、ヒミカ=プライズとしても、同様のことが言えた。即ち彼女は、撮影が進んでいく中でスカーレットにも、そしてスカーレットを演じるハガネにも、一緒にいればいるほど、知れば知るほど引き込まれ、その人となりを大好きになっていった。スカーレットに思いを馳せる時には、本心のありのままの気持ちを表現し、熱演できた。彼女をそうさせたのは、紛れもなくハガネの、人としての魅力とスカーレットを演じる、迫真の演技に他ならない。
(本当にハガネが、スカーレットが自分をナターシャにしてくれた。)
ヒミカは心からそう思った。もはやハガネがスカーレットなのか、スカーレットがハガネなのか、分からなくなるほどに。そしていつしか他のスタッフたちも、彼女たちの世界に引き込まれ、本気で一緒に夢を紡ぐようになっていった。
「ナターシャ、僕は本気で役者になるために、この故郷を離れ都市へ旅立たなければならないんだ、明日の朝、僕は船に乗って旅立つんだけど……..。」
スカーレットの突然の告白は、ナターシャにとって衝撃で、悲しさと寂しさで心がバラバラになった。前々から薄々気が付いてはいたのだけれど、いつかスカーレットが、夢に向かって旅立つ時が来ることを。幾筋もの涙がナターシャの頬を伝ってこぼれ落ちた。本当はここは泣く場面ではなく、泣きたい気持ちを必死に押し殺して、スカーレットに笑顔を向ける場面であった。それなのにナターシャは、いや、ヒミカはどうしても泣き止むことができない。でも新人であるとはいえ、彼女も実力演技派女優だ。言葉にならない悲しみを懸命に押さえ込んで、止まらぬ涙とともに、笑顔で答えた。
「ごめんなさいスカーレット、つい涙が出てきてしまって、気にしないで、明日は必ず見送りに行くわね。」
あまりのハガネとヒミカの卓越した演技力に、まわりからすすり泣きが聞こえてきた。ナターシャの涙の励ましに、彼女以上の衝撃を受けたのは、実はスカーレットのほうだった。このあまりの仕打ちに、ただ頭が呆然となり何も考えられず、この場を静かに離れた。そして家路についたスカーレットは、ナターシャの前で必死にこらえた、身を引き裂かれるような悲しみを爆発させるシーンへと、場面は切り変わっていった。そしてここからがハガネの、凄まじいまでの役者魂が炸裂することになる、名場面となったのである。
「なんで、なんで、なんでなんだナターシャ、どうして、どうしてこの僕を必死に引きとめてくれないんだ!?僕は、僕は、君にとって一体何なんだ!?」
心の激しい葛藤の中から、とめどなくあふれ出したスカーレットの悲しみと怒りは、一瞬で物語の空気を一変させた。緊張などという生ぬるい言葉では言い表わせない、一種の狂気と恐怖が空間の全てを豹変させたのだった。