この物語の主人公は、ドゥーシェ軍エースパイロットのジャンジャック=スオウであるが、ストーリー展開の便宜上、元バルドー軍エースパイロットのシゲハル=ムラサメの生い立ちについて、先に記述しておくことにしよう。この男は、バルドー首都郊外のスラム街に生まれ落ちたが、両親はおろかいつ生を受けたのかも分からない。本当に赤子の頃は間違いなく、誰かに育てられていたのだろうが、記憶のある物心ついたころにはすでに、ボロ布を身にまとい飲めず食えず、何度も何度も死にかけながら、来る日も来る日も地べたを這いつくばって生きてきた。
そんな熾烈な極貧の人生をおくっていた、10歳を少し超えたぐらいになったある日のことである。都市部の商工業者、資本家階級の者たちに、すこぶる質の悪い”盗人”に間違えられてしまったのだった。ゴミのように落ちているものや、ネズミのような害獣を喰らい、泥水や汚水しかすすったことが無いのにも関わらず。哀れにも怒りに燃え武装し、目を血走らせた複数の男たちに追いかけまわされるハメになった。
(殺される!)
衰弱しきったボロボロの身体で、全力で逃げ回っていたシゲハルがたどり着いたのは、首都郊外にある陸軍の飛行場であった。着の身着のままなりふり構わず、滑走路に侵入したシゲハルの、ちょうど目前に戦闘機が並び立っていた。
(一刻も早く、ここから逃げなければ!)
その一心で、無我夢中でコックピットに乗り込んだ。幸いにもエンジンがかかっており、すぐにでも発艦可能な状況である。ちょうどこの機体の搭乗員が、何かの野暮用で持ち場を離れていた一瞬のタイミングであった。シゲハルは急ぎ操縦桿を握り一気に滑走、レバーを引き上げ大空に飛空した。これが希代の鬼才、シゲハル=ムラサメの初飛行となった。”戦闘機が何者かに盗まれ逃走中”。その報を受けて、飛行場所属のパイロットたちが次々に戦闘機に乗り込み、シゲハル搭乗機を追撃した。
ちょうどこの飛行場を視察にきていた政治家がいた。スグル=ムラサメ、バルドー政府の閣僚で、陸軍相を一任している高官であった。彼のその目に入ってきたのはちょうど、10歳ぐらいのボロボロの少年が、戦闘機のコックピットに乗り込むという異様な光景であった。しかし本当の異様さを、まざまざと見せつけられるのはこの後のことだった。この少年の乗る戦闘機は、それを追う訓練されたパイロットたちの猛攻を、あり得ない速さを維持しながら引き離し、発射されまくる機銃を軽やかに無駄なく、華麗によけまくって翻弄している。なんという操縦技術なのか、もはや天性としか言いようがない。これを実現させているのは先ほどの、一見すると、戦闘機の搭乗経験など絶対に皆無であろう、極限なまでに飢えた少年である。スグル=ムラサメは心から、信じられないほど驚嘆の、そして歓喜の声を上げた。
「これこそ私が、この国が、この時代が求めたスーパースター、天が我々に与えたもうた、”神のごとき”神童だ!」